芝生の上を迫ってくる、
食い意地強めのプチ怪獣「ゆみたん」です。
ゴン太・ムチムチの指が
それを物語っています・・・
ひとつ前に祖父母ヘの愛を伝えて、
やっぱりこの方達への愛も伝えないと・・・
今回は
父と母のことについて、
語ってみたいと思います。
改めて思うと、
どのSNSでも両親について
あまり多くを語っていないことに
気がつきました。
まず最初にざっくり説明すると、
私の性格のほとんどは父に似ています。
いつも、私は中身が男だなと思うのですが・・・。
これについては最近、
自分の過去世のひとりが
男性だったことを知ったので、
「なるほどな」という感じなのです。
とは言っても、
母とも深い繋がりがありますので
この後ご説明します。
よく、
子供は両親を選んで生まれてくると
言われていますが、
それは事実です。
まず最初に私がなぜ父を選んだかというと、
私は遠い過去に、
光と水の惑星「ミンタカ」という
惑星で暮らしていて、
今でも澄んだ海が自分のHOMEだという
感覚が強いです。
そして、
私の父は若い頃、水泳の選手でした。
すなわち、この父の元に生まれれば、
常に水に関われるとわかっていたんですね。
狙い通り、
幼い頃から海やプールなど、
水と触れる機会を多く持てていました。
そして、
ひとつ前の記事でもお伝えしたのですが、
祖母が私と似ていて
精神性の高いスピリチュアルな方でしたので、
その祖母の息子である父は
いつでも私がぶっ飛んだことをしても
全て受け入れてくれる存在なのです。
それは母とは違う、何かなのです。
父とは分かり合える、感覚的な何か。
あと、娘のひいきめではなく、
とっても歌が上手です!!
惚れ惚れします♡
だからと言って、
母と仲が悪いわけではありません。
むしろ、溺愛に近い愛情を
注いでくれていると思っています。
それは、なぜかこの歳になって
お互いに強く惹きあっているような気がします。
そして、なぜ母を選んだかご説明しますと・・・
少し父より話が深くなりますが、
非常に面白いので詳しくお伝えしたいと
思います。
最近、
瞑想で「アカシックレコード」へ踏み入れた時、
まず、母のお腹の中にいた時の
胎児の私とつながりました。
ほんと面白いんですよ〜!
なんと私、母のお腹の中で
歌をうたっているんです。
自分でも驚きました・・・
イメージで言うとヘッドホンを
つけているかのような胎児が
ノリノリでとにかく楽しそうに
羊水の中をプカプカ浮かびながら
歌っていたんです。
これには、自分のことながら
瞑想中でも笑えました♪
そんな私を産んでくれた母は、
5人兄弟の末っ子として
鹿児島の山奥で生まれました。
いわゆる日本昔ばなしに出てくるような、
くねくねの一本道を何時間も登った先に
ポツンとある家で暮らしていました。
母が幼い頃、
ピアノを習っている同級生がいて
とっても羨ましく思っていたそうです。
その時から
「娘が産まれたら必ずピアノを習わせたい」
という夢を抱いたようです。
そして、
母は父と出会い、
結婚し、3番目の子として私と出会いました。
私には兄が二人いて3人兄弟の末っ子長女です。
念願だった女児である私が誕生し
母の願いは叶いました。
私は3歳からピアノを学び、
16歳からは声楽を学びました。
そして、有難いことに音楽大学まで進学し、
本格的に歌を学ぶことができました。
そんな私は今、
「命=音楽=歌」とも言える魂を持っています。
母のおかげで、
音楽に出会うことができました。
過去に私が自殺未遂をした時も、
急に喪服を着た母が私の遺影を持って
号泣している姿が見えて、
踏みとどまることができました。
この時も助けてくれたのは母の存在だったし、
歌うことは、
私自身を認められる表現方法であり、
今もこうして生きていられるのです。
そしてスターシードだと目覚めて、
全ての意味、
自分がこの地球に存在している使命、
また、両親の元に産まれた理由が
やっとわかったのです。
でも、今回お話しした内容については
両親に話せていません。
なぜなら、私はコロナ禍に覚醒をし、
この数年で物凄いスピードで変化していて、
自分でもついていくのがやっとです。
なので、電話で話すような内容ではないし、
会ってじっくり話をしたいと思っています。
でも、
両親は私のことを全てわかっているような
気もします。
ん〜、でも母は天然なところもあるから
全然わかってないかも・・・
とにかく、
今度会った時に全てを話したいと思うので、
ベストタイミグを待ちたいと思います。
父、母へ
とんでもなく破天荒な娘を信じて、
そっと遠くから見守ってくれてありがとう。
まだまだ元気でいてね、大好きだよ。
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